親の常識そのまま子供に教えて大丈夫?常識の教え方と注意すべきこと
子どもは生まれて真っ白な意識でいますが、段々と親から教えられる考えや物事の捉え方に染まっていきます。
日常の親から教わる常識は、後々とても大切な子供の人生の目安になります。成長とともに自分の知っている常識と、友達や他人との常識の違いに戸惑ったりします。
それぞれの家庭で教えられた常識が微妙に違いがあるのは当然です。その違いを受け入れ、先入観にとらわれずに柔軟に考えられる発想方法についてお伝えします。
この記事の目次
自分の常識が一般的で正しいと思い込む先入観に要注意
常識というのは世代が違えば微妙に違いがあるように思えますし、家庭それぞれでも違いますよね。国が違えばそれこそ常識は全く違ってきます。
子供は真っ白な状態で生まれてきて、まず親から様々なことを学び成長します。特に幼少期は親の言うことが全てみたいなところがありますので、ママパパの役割は重要です。
先入観を一番最初に植え付けてしまうのは親
生きていく上で大切な常識や先入観。お箸の持ち方から、おもちゃの遊び方、信号の色の意味やマナーなど生活に必要な知識をはじめに子供に教えるのは親です。
何も知らないまっさらな子供たちに少しずつ生きていくのに必要な物事を教えていきます。
祖父母の年代の常識とされることと、今の若い人たちとの常識には違いがあるように思いませんか?
社会の変化に伴い常識と言われるあやふやな価値観や知識や判断力は刻々と形を変えているようにも思えます。
子供に親の常識だけを植え付けて強い先入観を持たせるよりも、人によって国籍によって様々な常識や価値観があるんだよと柔軟な考え方を教えたいですね。
当たり前がそうではないかもと疑ってみる
自分にとって当たり前だと思い込んでいたことが、意外に間違った知識であったり、気づかなかったルールやマナーであったりすることがあります。
それをそのまま何の疑問も持たず、確認することもなく子供に教えてしまうのは少し危険です。
大多数が正しい、常識だいうことであっても、事実は違っていたりして首をひねるようなことがあるのも確かです。
例えば信号機の色ですが「赤・黄・青」と子供に教えますよね。私もそのように我が子に教えました。
でも、実際の色は「赤・黄・緑」ではないでしょうか。私自身なぜ緑にしか見えないものを青で統一されているのか理解できません。
同じような緑疑惑については、「青りんご」「青菜」「葉が青々している」これらもどう見ても色的には緑です。
何か日本語の語源的にその昔から緑を青と表現する習慣が未だに脈々と残っているのかもしれません。
このように「何かおかしいぞ?」と当たり前にまかり通っていることに対して疑問を抱く考え方が大切だと思います。
もう一例、お絵かきで太陽の色を赤く塗ってしまうのは日本人だけだということです。確かに夕日はオレンジ色ではありますが、真っ赤ではありません。
ほとんどの場合の空の太陽は白っぽい色をしています。外国人の幼児たちは太陽の色は「金」や「黄」と答えるようです。
日本の幼稚園に通う外国人の子供たちに先生が「太陽は赤で書きましょう」などと指導するのはどうかしているとしか思えません。
いかがでしょうか。お子さんは太陽の色を何色に塗っていますか?こうやって改めて考えてみると何やら納得できない思い込みが他にもありそうですよね。
自分の常識の横に受け入れスペースを作って一度考えてみる
自分の知識からなる常識はそれはそれで置いておいて、その横に他から聞く違った常識を一旦受け入れるスペースを作っておきましょう。
満腹でもデザートはなんとなく食べられてしまう「別腹」のように、自分の考え以外拒否するのではなく、納得できなくても横にある別腹スペースに一旦収めてみます。
知識や価値観を他と比較する余裕を持つ
自分の知る常識と違うことを言われた時、そう簡単には受け入れられないのが先入観というものです。
強い先入観はこだわりとなり、それが正しく良い場合はいいのですが、意固地で頑固でよろしくない場合になってしまうことがあります。
ママ友から聞いたもっともらしい噂、ネットで炎上している情報、新しい子育て情報など、見て聞いてそのまま鵜呑みにしてそれが正解のようになっていませんか?
本当かどうか、少し自分なりにリサーチして確認してみると、ちょっと違った、デタラメだったなんて結果になるかもしれません。
自分が得た知識や情報を他と比較する余裕が大切です。なぜならその知識から得た常識は、子供にそのまま話して教えることになるからです。
親同士も常識に差がある
母親は日々の生活の中で子供の躾を考えながら常識をちゃんと教えたいと思っていると思います。
まさか、自分のしていることが世の非常識だとわかっていながら子供にそれを教えていることはないと思います。
生活習慣での細かな常識を教えたいと思っていても、親に知識がないと教えられません。しかもそれが世の中の常識であるかどうかもはっきりしません。
例を少しあげてみましょう。日常のひとコマでこんな風景を「常識だ」と捉えるか、「そんな細かいこと別にいいじゃない」と軽く受け流すかで個々の常識の違いが出ます。
- 食事中、片膝を立てて食事をする父親
- スーパーの買い物カートのかごの部分に土足で子供を乗せている母親
- クーハンに生後間もない赤ちゃんを入れて焼肉屋に来る家族
- 列の出来ている電車の切符販売機で抱っこして子供に操作させる
- 電車内で携帯で通話する
皆さんにも色々思い当たることがありませんか?他人の行動に驚いたり不愉快になったりした経験があると思います。
こういった身近な親の常識がそのまま子供に反映されます。ママもパパもこうしてたんだからこれが当たり前だろうと受け止めます。
でも、子供の友達はまた少し違う常識を持っていますよね。子供同士意見が食い違った時どうしたらいいのかを教えてあげるのも親の役目です。
人と考えが違った時は人の数だけ常識があると教えよう
子供が幼稚園や小学校で友達と意見の食い違いで喧嘩になったり、不愉快な目に合い嫌いになったりする事が出てきます。
そんな時「考え方が違うんだ」ということを教えてあげましょう。その友達が何といっていたのか、そのことをどう思うのかなど、少し冷静に考えさせる時間をあげてください。
これは子供だけでなく大人もしなけれけばいけません。「自分は間違いない!」みたいな生き方では敵をつくるばかりです。
他人との違いに気を止めることが大切です。ひょっとしたら自分の考えを見直すキッカケになるかもしれません。
正しい事を知って、改めて自分が今まで常識としてきたことを「しまった!」「恥ずかしい」と思うかもしれません。
思い込みを外すと発想が柔軟になる
一度教えられた自分の常識や考え方を貫き通すと、人と摩擦が生じて人間関係が上手くいかなかったり、相手の自尊心を傷つけたりすることになってしまいます。
いきなり拒否するのではなく、受け止めてみてやはり自分の方が常識的と判断すればそれはそれでいいということではないでしょうか。
相手の考えも一理あると思えば、相手の意見も尊重しながら自分の意見を見直すことができます。
こうやって受け入れスペースを生かすことで思い込みを外せて、発想が柔軟になります。
大人になって年齢を重ねれば重ねるほど、自分の常識が強固なものになっていき、他のことが聞き入れられないようになってきますので、そこは要注意です。
子供の頃から、人の意見をまず聞くことができるような教育を親は心がけるといいと思います。
人の常識になんでも合わせるということではなく、自分の考えも大切にしながら相手の話も聞く用意ができているという状態ですね。
子供たちの世代は世界的に見た常識も大切になってくる
親世代が身につけている常識は、おそらく純日本的なのではないでしょうか?これからの子供たちはもっとグローバルな視点が大切になってきそうです。
社会人になって会社の上司が外国人だったり、同僚にも外国人がいたり、海外で仕事をする子たちも多くなってくるでしょう。
常識を間違うと、本人にとって大変な恥になる場合もあります。取引相手を怒らせてしまうようなことになる場合もあるでしょう。
思い込んで先入観に支配されると楽かもしれませんが、物事の善し悪しをしっかり見極める力も弱くなってしまいます。
教える親としては責任重大に思えるかもしれませんね。でも受け入れスペースさえちゃんと作れるようにしていれば心配することはありません。
子育ての中でも心の部分を言葉にして教えることは難しいものです。常識については大人にとっても大切なことですから親も自分の知識・常識を疑ってみる気持ちで見直しをしてみませんか?