家族ルールは各家庭で違う!色々な人に触れ合う教育で子供に伝えよう
家庭内にあるルールは、家庭の数だけあります。子どもたちは我が家のルールがよそでも当たり前だと思ってしまいがちです。
子どもにとって親の指導がルールとなり、お友達の言うことすることがそれと違っていると上手く受け入れられず、喧嘩になったりします。
それぞれの家族のルールが違う事を教え、世の中には自分と違う考え方の人がたくさんいること、違っていても関係をうまく築いていくことの大切さを子どもに伝えましょう。
この記事の目次
自分が当たり前だと思っていることと他人の当たり前は違う
どんな家族にも当たり前のようにしている日常のルール、決まりというものがあります。あまりの違いに驚くこともしばしばです。
例えばご自身に恋人ができ、いつも一緒に食事をしたりテレビを見たり買い物にいったりと、日常的なお付き合いが始まった頃を思い出してください。
また、ラブラブの新婚で夫と二人、新生活を始めた頃を思い出してみてください。他人と一緒に暮らしてみると、お互いの変な癖、習慣、ルールに「え!?そうなの?」と驚きませんでしたか?
愛し合っている夫婦といえど、曲げられない譲れないルールや習慣があり、お互い諦めてそれぞれ貫いていたり、どちらかが折れて(慣れて?)片方に合わせるようになったり…
洗濯物の干し方・たたみ方が違う、目玉焼きにソースか醤油か、お風呂はシャワー派か湯舟派か、掃除が雑だったり潔癖症気味だったり…いろいろありますよね。
時にはどうしてもその習慣が許せないもの(下着のパンツを裏表はくとか)で、いつも「それやめて!」と夫婦喧嘩になっているなんてことも…
昔は祖父母と同居だったり、親族も一緒だったりする多世代世帯が珍しくなかったので、他人との違いに寛容だったと思います。
でも、核家族が当たり前になった今、我が家のルール以外よその家のルールを見聞きする機会が少なくなったため、当たり前だと思っていたことを違うと指摘された時受け入れることが難しいのではないでしょうか。
円満な家庭にはみんなが守るルールがある
子供のいる家庭では躾の面から言っても親が何かしらルールを作っています。ルールというと堅苦しいかもしれませんね。自然と守られている約束のようなものです。
ご飯を食べる時には「いただきます」終われば「ごちそうさま」と言うよう約束している家庭は多いと思いますが、特にそのような教育をしていない家庭もあるのです。
家族内の約束事は、子供だけが守るものではなく、パパママも子供と一緒に守ることが大切ですよね。
もちろん就寝時間の違いなど、常識的な大人と子供の違いというのは子供にも理解させなければなりませんが…
「靴を揃える」「カバンは決まった場所に吊るす」「食事中はテレビを見ない」など家族での決まり事があると思います。
こういったルールが自然と守られている家庭は落ち着いていて円満な様子が伺えます。
子供の成長とともにルールを変更する時は、親子で意見を出して話し合い、そうして新しいルールにするとみんな納得できますよね。
思いもよらないよその家との違いにドッキリすることも
子どもが幼稚園に行くようになると、ママ友関係もでき、子供たちがお互いの家を行き来する関係が始まります。
我が家によその子たちが遊びに来て、たった数時間であってもよその家庭のルールを垣間見ることができます。
- 玄関でみんなの靴を揃えて並べる子
- おじゃましますと言って上がってくる子
- こちらからどうぞとい言うまで上がってこない子
- 除菌石鹸で手を洗いたいという子
- 勝手に冷蔵庫を開ける子
- ティッシュにお菓子をのせて出すとお皿がいいと言う子
- 寝っ転がってお菓子を食べる子
書き上げると切りがありません。子供は素直ですからうちでしていることをそのままよそでもしてしまうんでしょうね。とても面白いです。
我が家では、遊びに来た子供のしたいようにさせることはありませんでした。冷蔵庫を断りなく開ける子には「勝手によその家の冷蔵庫を開けるんじゃない」とピシャッと注意します。
寝っ転がって食べるマナーの悪い子には「ちゃんと座って食べようか」と促します。これらの場合はよその子とはいえ躾です。
ティッシュじゃなくお皿でという子には、「お菓子もちょっとだけだしティッシュで我慢してね~」と軽くあしらいます。
逆に、我が子がよその家に遊びに行ってその報告を聞くこともあります。○○くんちの洗面所のお花が綺麗だったとか、テーブルの上や床がモノだらけで部屋が汚かったとか…
時には聞いてもいないのに、「パパのお小遣いはいくら」だとか経済事情までバラされたり、父親の会社での役職を自慢げに教えてくれたりもします。
仲良しのママとは笑い話で済みますが、子どもにはよそで自宅の様子をペラペラしゃべらないよう注意しておきたいですね。
人との違いを面白半分に受け止めるといじめにもつながる
差別やいじめといった類は、集団生活の中に生まれやすいものです。何か違いを見つけ面白半分に茶化し始めたことがきっかけにつながることもあります。
小学校に上がると知恵もつき、自分がいじめの対象にならないように、違いを隠そうとしたり、友達の違いをわざとみんなに大袈裟に教えたりしてしまうこともあるようです。
子どもが大きくなってくると、宿泊を伴ったキャンプや課外授業など、家庭生活のプライベートな部分を嫌でも友達みんなに見せることになってしまいます。
もし、小学校4年生の女の子で自分で頭を洗ったことないの子がいたらどうでしょう?皆さんのお子さんと比べた時どの様に思われますか?
宿泊課外授業でクラスメイトとお風呂に入ることになりますが、その子は一人でシャンプーできないことになります。
その子の家庭では母親がシャンプーしてあげていたようで、事前調査で状況を知った担任の先生が母親と話し合ったという例が私の身近でありました。
子どもたちはふざけ合って、「え~○○ちゃん一人でシャンプーもしたことないの~?」とからかったりする場面が目に浮かびます。
意地悪するつもりでからかうわけではなくても、当事者の彼女にとっては一大事です。しかも無防備に裸のお風呂場でそんな話になると辛いものです。
「シャンプーは母親にしてもらう」が当たり前だったのに、世間では当たり前ではなかったということになります。
また逆に「小学4年生はシャンプーは一人でできるもの」が当たり前の、その他大勢のクラスメイトには当たり前でなく「異質」なものと映ります。
複数に一人の構図がいじめに発展しやすい条件です。大なり小なり各家庭の事情が違い、自分と違うことはたくさんあるんだということを知っておくことは大切です。
「自分が当たり前ではない」ということを幼児期の頃から自然と経験から感じ取っていくことはとても意味があります。
子どもが他人と接する機会を意図的に作りましょう
小さいうちは生活行動範囲も限られています。子どもが親以外の大人と接することはとてもいいことです。
おじいちゃんおばあちゃんだったり、友達のパパママだったり、近所のおじちゃんおばちゃんだったり…
近所の大学生さん、いつも立ち寄るお店のバイト君、耳の遠いお年寄り、障害のある人など、たくさんの人と触れ合う機会を作ってあげましょう。
ちょっとした会話からでも「うちの親と言うことが違う」とか、様々な習慣や文化の違いを肌で感じ取ることができるのではないでしょうか。
よそのおうちへのお泊りは違いを感じる異文化体験
家族ぐるみのお付き合いがあれば子供にお泊まり体験をさせてみましょう。おじいちゃんおばちゃんの所でもいいですよ。
他人の家に入ると、まず真っ先に家の匂いが違いますよね。嗅覚は敏感です。玄関の靴の並び方も違うでしょう。
夕食の時間だって違うでしょうし、食事の味付けだって違いますよね。お風呂場の様子だって全く違います。
暮らし方や生活スタイルが違う異文化体験をさせてあげてください。そんな経験値が多いほど感覚がしなやかに育つと思います。
物怖じしない、自分との違いも柔らかく受け止められる、そんなしなやかな心が育ちます。
人とのふれあいで築く関係は違いを受け入れやすい
人との違いを突きつけられたとき、つい「自分が正しい」と咄嗟に拒否反応を示すことがあります。
これは子どもも大人も同じことです。特にわかりやすい例が障害のある人との接し方です。障害があるというだけで構えてしまうのは違いに戸惑うからではないでしょうか。
うちの子どもたちも実に自然に障害のある友達と接していました。特別扱いするわけでもなく自然と助け合える関係性です。
こういったことは学校や先生方の方針なども影響が大きいかもしれませんね。お互いを大切に思う人権教育が大切にされていた証拠だと思います。
また、認知症を発症した祖父母についても同じことです。老化現象の一つであって誰かわからない他人に変身したわけではありません。今までの祖父母には変わりないのです。
様々な人とのふれあい経験が、子どもなりに人間として大切な根幹を育てることになるんですね。
私たち大人にとっても、ママ友関係、仕事場、嫁姑問題など、子供と同じレベルで他人との違いを受け止める必要性を感じます。
大人は大人で考え方の違いや長年の習慣はなかなか変えられません。相手に対する言葉の選び方一つで関係性は大きく変わりますので気をつけたいですね。
災害時のルールも相手や場所によって変わることを教えておく
日本では地震に津波といった自然災害が多発することから、災害・減災・防災のためのルールを決めている家庭も多いと思います。
家族一緒の時に災害が起こるとは限りません。学校で、通学路で、公園でと、場所や一緒にいる相手が家族ではない可能性は大いにあります。
そんな時は誰のいうことを聞くのか、親と決めたルールと違うことを言われたときどうするのかなどを話しておく必要もありますよね。
また、避難場所では様々な人が一緒に時間や空間を共にします。自分のルールが集まった皆さんと一緒ではありません。
自分の当たり前が通用しないことにいちいち過敏に苛立っていると、ストレスも溜まりしんどいばかりです。
それよりも「みんなそれぞれ違うもの」と割り切って受け止めることが精神的に楽になる方法です。
お互いが自分のルールを曲げて我慢したり、譲り合ったりしながら相手を思いやることが大切だと教えましょう。
「自分が当たり前」より「違って当たり前」と教えよう
自分がモノサシとなり、自分のすること考えることが当たり前でそのまま成長すると、とても傲慢で利己的な子どもになってしまうかもしれません。
他人の違いが受け付けられないと、その人を排除したり、傷つけたりする心配があります。そんなことを重ねていると気が付けば四面楚歌となり仲間を失うかもしれません。
あまりいいことはなさそうな気がします。それよりも個々の違いを柔軟に受け止め違いは違いとして認める大きな気持ちを持てる子に成長してもらいたいですよね。
みんなそれぞれ違うんだよ。でもそれぞれが個性的でその良さを活かせることが素晴らしいんだよと詠んだ有名な詩があります。
金子みすゞ
金子みすゞさんはこの詩の中で、「みんなちがって、みんないい」と伝えています。そんな風に上手く子どもたちに教えてあげられるといいですね。
人と親しくお付き合いすることで相手のことをもっと知ろうという気持ちが沸いてきます。同時に、自分のことも知ってほしいという欲求も出てきます。
親も一緒に自分の当たり前と他人の当たり前の違いついて、頑なに構えるのではなく柔軟に受け止め認められるようになりたいですね。
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