怒りすぎるママだけが本当に被害者?傷付いている子供の気持ちを考えてあげて!
なんで自分ばかり…子育てが始まって辛かった時に私がいつも思っていたことです。夫は仕事ばかりで休みもなく慣れない育児、夕方くらいには限界がきて娘と一緒に泣いてばかりでした。
あんなに楽しみにしていた娘の出産、そして育児だったはずなのに気分は完全に被害者でした。こんなはずじゃなかったのに…って。
今こんな思いに囚われているママもたくさんいるのではないでしょうか。辛い時に子供のことまで考える余裕はなかなか持てませんよね。
そんな中子育てが思い通りにいかないと怒りが爆発して感情的に怒ってしまう時もあります。気が付いたら子供を怒ってばかり…なんてことも。
子供のためを思ってのことでもただ感情的に怒ってしまっただけでも子供から見たら同じことです。
怒られてばかりいると子供はどうなってしまうのか。大人になるとつい忘れてしまう子供の気持ちを一緒に考えてみましょう。
この記事の目次
子供も被害者…親の怒りに対して子どもはどう思うのか?怒りすぎることの弊害
怒らずにはいられない環境だったり行き場のない気持ちがそうさせているとはいえ、
怒ってばかりいるのは苦しいですよね。
それと同時に逃げられない環境で1番認めてもらいたい親に怒られ否定されてばかりの子供も同じ様に苦しい思いをしています。
怒るようなことじゃなかったのに怒ってしまったり親のストレスのはけ口になっていることは必ず伝わってしまうのです。そんなことが続いていくとだんだん親のことが信頼できなくなります。
自分が子供の頃親に怒られると思った「あ、今当たられてるな…」っていうあの感覚です。自分はストレス解消の道具じゃないのにって悲しくなって怒りを感じたあの感情に覚えのある人も多いのではないでしょうか。
ただ怒るでは子供のためにはなりませんし、自分らしく生きていくのに必要な自己肯定感も育たず何だか地に足のつかないような感覚になってしまうのです。
何をしても 怒られるから 自信を無くす…大人になって苦しむ「自己肯定感」の低さ
子供を褒めることに何となく抵抗感があったり恥ずかしく感じたりしませんか?正直どう褒めていいかもわからないし、いいところなんて…と思ったり。
逆に怒ることを難しいとはあまり感じないと思います。自分も怒られた経験があるし、ダメなことを教えるのは意外と簡単。だってダメなものはダメだから。
ではなぜ子供を怒ってばかりいることが問題視されるようになったのかというと諸外国に比べ日本人の自己肯定感の低さが明らかになってきたからです。
なぜ日本人の自己肯定感が低いのか、それは日本ではあまり子供を褒めて認めるということが行われてこなかったことに原因があります。
- 自己肯定感とは
- 人と比べることなくありのままの自分を認めて受け入れ尊重し、自分が大切な存在でかけがえのない存在なんだと感じることができる力です。
自己肯定感が高いと少しの失敗にもめげず目の前の問題を解決できます。何事にも意欲的に取り組むことができ人の意見を聞き入れることにも抵抗感がありません。
人生において必要なのは学歴や何か特別なスキルや資格を持っていることではなく、自分は何があっても大丈夫!と自然に思えることです。
そんな気持ちが怒られたり否定されてばかりで育つかと言ったらそれはあり得ないですよね。
褒めることは確かに気恥ずかしいし難しいです。それでも褒めることは親が子供にしてあげられる1番の贈り物なのです。
子供は親を選べない…怒鳴られてもお母さんが大好き
何度も何度も怒って怒鳴りつけてもママ!って寄ってきてくれる。子供はどんなことをされてもママが大好きです。
それは本当にママが好きだからだと思います。ママが何かをしてくれるからではなく単純に無償の愛を注いでくれる存在が子供です。
その姿を見て申し訳ないと同時に癒されて、もうしないと思うけどまた怒鳴ってしまって…それでも子供はめげずに側にいてくれます。
でもそれが通用するのは子供が親を頼らなければ生きていけない年齢まで。自分の力で生きていけるようになれば怒鳴ってばかりの親元からは離れたくなるのが普通の気持ちです。
子育てが大変な時期に子供はどんなママでも大好きと言われるとものすごく安心感があります。私もこの言葉に助けられてきました。
でもあくまで相手は子供。優しさに甘えすぎてしまうと将来的に仲の良い親子でいるのは難しくなってしまうかもしれません。
子供も1人の人間です。親の所有物ではありません
子供の人生は親の教育で決まる。だからしっかりとしつけをして子供が将来困らないようにしてあげたい…子を思う親の気持ちですよね。
その気持ちが行き過ぎてしまうと子供が自分の思うように行動せずに反抗すると育て方を間違えたとまるで子供が自分の作品のような考えになってしまいます。
でも本当に子供の人生は親によって決まるのでしょうか。どんなに親が習い事をさせたり塾に行かせたりしても子供が興味を持てなければいい結果は出ません。
親ができるのは子供を信じて見守り、困った時や求められたときに手を差し出すことではないかと思います。
お母さんを好きでいたかった…筆者の体験談
あなたにとって母親ってどんな人ですか?優しい人、尊敬する人、怖い人、嫌いな人…色んな感情があると思います。
母親って何なのか。私には正直なところどんな存在なのかわかりません。母という名称の人というイメージしか浮かばないのです。
なぜそんな風に思うようになったのか。母親が怒る時、子供がどんな風に思い何を考えていたのか私と妹の体験を通して感じてもらえたら嬉しく思います。
今も抜け出せない母の呪縛。私が自分に自信を持てない理由
私には反抗期がありませんでした。当時は祖父母の世話で大変そうだったからという母に対する気遣いや愛情なんだと思っていましたが大人になって考えるとそうではなかったように思います。
その時にはもう母に対して甘えても無駄だと無意識に諦めていただけ。気持ちをぶつけても受け止めてはもらえないとわかっていたから反抗できなかっただけ。
そういう風に思うようになったのは何か決定的な出来事があったわけではなく、一緒にいる中で少しずつ私の気持ちが無視されていったからからかもしれません。
私が今でも忘れられずにいる出来事があります。当時はとても悲しかったり悔しかったのですが母がさらに怒るので何も言わないようにしていました。
- いとこと遊んでいる時に噛みつかれて泣いてしまい遊んでいる時に泣いて場の雰囲気を悪くしたと家を追い出されたこと。
- ピアノの発表会前に彫刻刀で指をケガしたとき血が出ているのに心配するよりも先にピアノが弾けるのか確かめられたこと。
- 具合が悪くて寝ていたら家でダラダラするなと無理やり公園に連れていかれ、案の定悪化し吐いてしまったらお前は普段から外に出ないからダメなんだと言われたこと。
- 学校の先生にこんなにいい子にどうやって育てたんですか?と褒められても家ではそんなじゃないんですけどね…外ずらだけ良くて。と言ったこと。
私がそう言われて何を思うか、そんなことは考えたことがないんだと思います。どれも未だに忘れられません。母にとっては思い出話のようですが…
きっと私を思って言ってくれたこともあるんだと思います。でも私は母の思いとは逆に気を遣い過ぎて疲れ友達付き合いが苦手で外に出るのが嫌いなすぐにストレスで体調を崩す人間になりました。
学校で努力できていたのは勉強は数字で結果が見えますし、先生たちは委員会や部活を頑張れば頑張るだけ認めてくれたのが理由でした。
それが母には外ずらがいいだけの娘と映っていたんだと思うとやりきれない気持ちになり、休みの日のダメな自分で誰かに会うのが怖くなりました。
満点のテストを見せても他の人からどんなに評価されても母が私を認めることはありませんでした。どんなに頑張っても母から褒められるということもなかったのでもう期待するのをやめました。
今は母を母親だと思うと苦しくなるのでただの気の合わない女性なんだと思うようにしています。
妹に聞いた心の内…根深い母と妹の関係
私は高校を卒業後無理やり実家を出て親元を離れました。最後まで母は気持ちよく送り出してはくれませんでしたが私は自分の思うようにできる生活に幸せを感じていました。
ところが私が自由になった分妹にしわ寄せがいきました。妹も家を出たがっていましたが母は「1人家から出たのだからもう1人は出さない」と言ったそうです。
その後妹は地元の有名なお店に就職が決まりました。最初は順調でしたがある事件が起きました。妹が店のレジのお金を盗んだと疑われたのです。
父が抗議しに行き無事誤解は解けたようですが、妹は精神を病むようになり仕事を辞め引き籠るようになりました。
ご飯が食べられないと言えば「食えよ!」と怒鳴られ、まだ考えられないと言ってもテーブルにはこれ見よがしに新聞の求人欄が開かれて置かれる。
お医者さんの話を聞いてほしいと言っても精神科なんかに行きたくないと突っぱねられ、父にも母がかわいそうと言われ逃げ場がなくなっていきました。
本当にかわいそうなのは一生懸命頑張っていたのに疑われ精神を病んだ妹だよ…当時の父に言えるなら言いたい言葉です。
私はこの話を聞くまで妹は両親から愛されているんだとばかり思っていました。そんな自分の勝手な被害妄想で妹を救えなかったことを後悔しています。
今妹は鬱から回復し、いい職場が決まり楽しく仕事しています。ただ結婚して子供を産むことはしないそうです。
自分が母と同じような子育てをするのが怖いし結婚に希望は持てない。だから私は姪っ子を可愛がる!と言っていました。
娘を愛してくれてとても嬉しいのですが、一人の女性として幸せになることを諦めさせてしまったことを申し訳なく思う気持ちでいっぱいです。
子供を産んでわかる母のありがたさ。それでも簡単には埋まらない心の距離
子供が産まれるまで子育てがこんなに大変だったとは思いもしませんでした。それと同時に子供がこんなに可愛いものなんだということにもびっくりしています。
最初は家事も育児も完璧にやる!子供のためにおやつも手作りでいつもニコニコいいママになってやる!と思っていましたが実際は無理でした。
それどころか夫の協力は得られずイライラし、泣いてばかり…泣く娘を無視してトイレに閉じこもったりしていました。
正直子供を産んだことを後悔した日もありました。娘には一生言えません。子供1人でこれなんだから2人の子供を育てて祖父母の面倒を見ていた母はとても大変だったのだと思います。
それから母に対して少し気持ちが落ち着いていたのですが、夫の単身赴任で実家に娘と戻ってからやっぱり母は母だったと思うことが増えています。
娘にはとてもいいおばあちゃんなのですが、私にとっては自分が愛されていなかったんだと実感する言葉を言われるのでそのたびに心の傷が疼きます。
自分が娘を大切に思えば思うほど自分がされてきたことの理不尽さを感じてしまい苦しくなるのです。
それなのに母さんの大事な子供と私や妹のことを言うので私は黙るしかなくなります。いまさら言われても私が母に甘えたかった子供時代はとっくに終わってしまいました…
妹は寒気がすると言いました。受け止めるべき時に子供の気持ちを受け止められないと取り返しがつかないんだとその言葉に教えてもらった気がします。
子供は親にされたことを想像以上に重く受け止めているし、覚えています。子供が大人になってからでは遅いこともあります。
子供のためで縛り付けないで!やりたいことができない苦しさ
私には子供の頃すごく興味があったのに今ではとても苦手なことがあります。それはオシャレをしたりお化粧をしたりして女性らしくいることです。
でもいくら興味があっても言い出せませんでした。母は子供がオシャレをしたり化粧することにすごく批判的なんです。
子供は何もしない方がいい、親のくれた体を傷つけるなんて親不孝、人間見た目ばかり飾ってはダメになる。よく母が言っていた言葉です。
確かにもっともな話だし、子供に対してのしつけの一環だったのかもしれません。しかし大人になると化粧したり身だしなみに気を付けなくてはいけなくなります。
子供らしくない服を着るのも子供が派手な化粧をするのも嫌う人が多いですよね。私もテレビを見ていてこれはちょっと…と思うこともあります。
子供の頃から化粧なんてしたら肌が心配って思うかもしれませんが、それなら若いうちはポイントメイクだけで十分でしっかり落としてスキンケアすることを教えてあげればいいのではないかと思うんです。
やりたいことを危ないからさせない!ではなくて危険や心配があるなら教えてあげてどうしたらうまくできるのかをアドバイスするほうが子供が興味を失ってしまったり罪悪感を持つことを防げるのではないでしょうか。
この話をしたら母は「でも子供は何もしない方が絶対にいい!」と怒ってしまいました。娘が大人になって困ったんだと言っても聞く耳は無いようです。
今でこそ母の言うことは流せるようになりましたがまだ買い物をするときに罪悪感と戦っています。母の言った言葉はもはや私の中で呪いのようになっているのかもしれません。
自分の怒りで子供を壊してしまう前に…傷つくのは子供も大人も同じです
最初は子供のためにと思ってしていたことが長く続く子育ての中でだんだんとうまくいかなくなり感情的に怒ってしまうと罪悪感から自分の心をを守ろうとします。
それがママの中でも気が付かないうちに被害者意識となって「ママなんていない方がいいんでしょ!」「あなたのせいでママは怒られた!」と子供や夫を加害者にしようとしてしまいます。
でも本当にママは被害者なのかと言うとそれは違うのではないでしょうか。夫婦はこうあるべき、子供はこうあるべきという考えに囚われていませんか?
それはママを傷つけようとしているわけでもなければママにいなくなってほしいと思っているわけでもないのです。
家族に加害者も被害者もいません。いるのはそれぞれの人生の当事者だけです。人生の主役は自分自身、ちょっと自分が疎かになってるなと思ったら1度深呼吸をしてママ自身がどう生きていきたいのか考えてみましょう。
そしてもう怒る自分はやめたい、笑顔でいたいと前向きな気持ちが出てきたらもう大丈夫!次に進んでいける合図です。
こちらの記事で怒りを抑える方法や具体的な叱り方を紹介しています。怒る育児を卒業したいと思ったら読んでみてください。
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